自費出版・流通出版・執筆のことなら文芸社へ

自費出版・流通出版は気軽にSite執筆・出版の応援ひろば
よむ人からかく人へ。ここは表現する人を応援する著者のための『ひろば』です。ご相談・お問い合わせは…「なんでも相談室」へ

執筆・創作・自費出版・流通出版のことなら【気軽にSite 執筆・出版の応援ひろば】トップへ > 書く歩く(第11回 清張と太宰の“点”と“線”)

書く歩く(第11回 清張と太宰の“点”と“線”)


第11回 清張と太宰の“点”と“線”

 ことし(2009年)は松本清張の生誕100年にあたるそうである。
 僕が最初に読んだ清張作品は、『砂の器』でも『点と線』でも『ゼロの焦点』でも、下山事件や帝銀事件を題材にしたノンフィクションでもなく、『半生の記』というメモワールだった。清張はオジサンの読み物というイメージがあって手にしなかった(事実、自身がオジサンになってみて、あらためて清張の面白さを発見することになる)のだが、高校の倫理社会の授業で、読書感想文の課題作として初会することになったのだ。そこには、印刷所の見習い工として働くなかでプロレタリア誌を読んでいたため拘禁された若き日が綴られており、このあたりが倫社の課題に選ばれたものと思われる。
 清張の半生は貧しく不遇である。苦渋に満ち満ちている。それが、後の社会派推理小説で描かれる事件の動機となって反映されているようだ。すなわち、黒々とした怨恨や禍々しい上昇志向である。
 清張の生まれた1909年は、太宰治の生まれた年でもある。これ、とっても意外な印象がある。ふたりが活躍した年代が異なるところからくるものであろう。
 太宰が満年齢38歳で東京三鷹在住の美容師・山崎富栄と玉川上水に入水した年、清張はまだ1編の作品も発表していない。太宰の死から5年後、清張は、太宰が『逆行』で、その第1回の候補に上がり落選した芥川龍之介賞を『或る「小倉日記」伝』で受賞する。
 おなじ年に生まれながら、いちじるしく個性を異にするふたりの作家。その“点”を結びつける“線”となる意外な人物がいた。それは森鴎外である。
『或る「小倉日記」伝』は、エリート軍医・鴎外が、北九州小倉に左遷された不遇時代にしたためた日記の空白部分を調査する障害者の青年の情熱が描かれている。
 一方、三鷹の禅林寺本堂裏にある太宰の墓所のはす向かいには〔森林太郎ノ墓〕と刻された鴎外の墓が立っている。
 僕が禅林寺を訪ねた時、文豪と称される鴎外の墓前になにも供物がなく、〔太宰治〕とだけある墓のまえは、タバコ、缶ビール、カップ酒などであふれていた。


←前回へ | 
次回へ→


上野 歩(うえの・あゆむ)

1962年東京生まれ。作家。『恋人といっしょになるでしょう』(集英社)で小説すばる新人賞受賞。文芸社にて執筆アドバイザーを務める。新感覚サイコミステリー『鳴物師 音無ゆかり 事件ファイル』を文芸社より刊行。
公式HP《上野亭かきあげ丼》
http://www.uenotei.com



バックナンバー