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書く歩く(第25回 抒情という装置 ― ⑧)


第25回 抒情という装置 ― ⑧

 はじめてスクリーン上で観た際には、正直のところ感慨もなかった『砂の器』だが、それから20年以上して、CMが挟み込まれる民放の映画劇場でなにげなく眺めていて、その魅力を再発見した。この時は、クライマックスシーンで吹きこぼれる涙を禁じえなかった。そうして、こちらの涙腺をいちじるしく刺激したのは犯人役の加藤剛の顔だった。どん底から這い上がった男の憤怒、慟哭、孤独、希求――万感の思いを込めてピアノを弾きつづけるその表情に、こちらがその心情を汲み上げ、泣けて泣けて泣けてくるのであった。
『砂の器』は、かつての高校生だった僕には、犯人の“宿命”にも刑事の“職務”にも感情移入するよるべなき名作であったというわけだ。

 さて、松本清張の打ちっ放しコンクリートのような文体にもどろう。そこにはたして抒情があるかといえば、これが大いにあるのだ。短編小説『張込み』は、逃亡中の強盗殺人犯が、かつての恋人のもとを訪ねることを想定し、刑事がその家の向かいにある旅館に張込む物語である。
 女は、3人の子持ちの齢の離れた男の後添いになっているが、あまり幸せそうには見えない。とはいえ、「吝嗇(けち)」で「毎日百円ずつ置いて」勤めに出る夫に対して女は従順で、子どもたちも継母によくなついている。
 刑事があきらめかけた頃、女と犯人は山間で落ち合う。


 男の膝の上に、女は身を投げていた。男は女の上に何度も顔をかぶせた。女の笑う声が聞こえた。女が男のくびを両手で抱え込んだ。
 柚木はさだ子に火がついたことを知った。あの疲れたような、情熱を感じさせなかった女が燃えているのだった。
〈『張込み』新潮文庫《傑作短編集(五)張込み》より〉


 くわしい容姿の描写もなく、一言の台詞もないにもかかわらず、柚木刑事の視線の先にある「さだ子」は、その秘めた情念によって、高峰秀子、八千草薫、吉永小百合、鶴田真由らが映画・ドラマで繰り返し演じるヒロインとなった。
(『抒情という装置』―おわり―)


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上野 歩(うえの・あゆむ)

1962年東京生まれ。作家。『恋人といっしょになるでしょう』(集英社)で小説すばる新人賞受賞。文芸社にて執筆アドバイザーを務める。新感覚サイコミステリー『鳴物師 音無ゆかり 事件ファイル』を文芸社より刊行。
公式HP《上野亭かきあげ丼》
http://www.uenotei.com



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