書く歩く(第38回 『見える人−②』)
第38回 『見える人−②』

僕が驚いたのは、今構想中の小説に、少年野球のエピソードが出てくるからだ。
「それを書くことで先行きが明るい、曾お婆さまがそう仰っています」
とKさん。
僕には、曾祖母の記憶がひとつだけある。母方の生家は、東京の墨田区で、俵(たわら)を手広く商っていた。俵は、今で言うところのパッキンである。レールの運搬時に使用されたりして、近所を走る京成電鉄とも取引があったようだ。晩年の曾祖母は、広い家の2階でいつも過ごしていた。ある日、僕が2階に上がって行き、和室の障子を開けると、曾祖母が座っていて、そっと笑いかけたのだ。
この断片のような記憶が、僕の中にある唯一の曾祖母の姿だった。それを話すと、Kさんはほんの少しだけ不可解そうな顔をした。
しかし、再び僕を真っ直ぐに見て、
「その野球の小説、書かれるとよろしいですよ」
と言った。
帰宅すると、さっそく僕は母に電話して、曾祖母について訊いてみた。
母の話で分かったことは、曾祖母の名前が「きん」、曽祖父の名前が「彦次郎」ということだった。
さらに、「お婆ちゃんと、曾お婆ちゃんは、血がつながっていないよ」と母が言った。
僕は驚いた。
祖父、真三が入り婿であったことは知っていた。しかし、祖母の清子までが養女であったとは……
僕は母に、自分の記憶の中の曾祖母の姿を伝えた。
「曾お婆ちゃんて、小顔の人じゃなかったかな?」
そういえば、そうだったかもしれない、と母は言った。
「曾お婆ちゃんは、僕が幾つの時に死んだの?」
母は、曾祖母が89歳で老衰で亡くなったことは覚えていたが、それが僕が幾つくらいのことかまでは思い出せなかった。
今度は母の家の近所に住む、母の姉に電話してみた。
やはり、曾お婆ちゃんの死んだ時のことを伯母に尋ねると、驚くべき応えが返ってきたのだった。
(つづく)