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書く歩く(第40回 『見える人−④』)


第40回 『見える人−④』

 祖母の清子はちゃきちゃきの東京言葉だった。清子は、淀橋区落合町(現・新宿区西部)の生まれで、6歳の時に南葛飾郡吾嬬町(現・墨田区東部)の清水商店の養女となった。祖母が、曾祖母きんの北関東のなまりの影響を受けなかった理由がこれで分かった。
 清子は芝居と旅行が好きだった。僕の母を含め1男4女をもうけたが、どこか家庭的なにおいが希薄な人であった。その理由も分かったような気がする。
 僕の母方の祖父母は、ともに養子と養女であった。今回、伯母から聞いた興味深いエピソードがある。祖父・真三と清子の間に長女(つまり伯母)が生まれた際、入り婿である真三の実家から産着が贈られなかった。当時、子どもが生まれた際には、嫁ぎ先に実家から産着を贈るのが儀礼だったそうだ。
 これに怒った曽祖父の彦次郎は、真三を一度は離縁している。それで伯母は戸籍上は、きんの娘であり、実母の清子とは姉妹になっているそうだ。
 こうしたこともあって真三は発奮したのだろう。清水商店を大きく発展させ、町内にその名を知らしめた。まだ珍しかったオート三輪を買ったその足で、栃木にある実家まで走らせ、庭を三周して戻ってきたという逸話もある。得意だったのだろう。
 幼い僕にとって、真三は苦手な頑固ジジイだった。真三は、僕が小学校に入る前、よその女性と九州に去った。そうした祖父を形成した土壌も、今回、見える人であるKさんとのかかわりをきっかけに知ることができたわけだ。
 Kさんは、僕に曾祖母のきんがいわば守護霊としてついているという。では、血がつながっている曾祖母、清子の実母はというと、行方知れずなのだ。戦後、伯母たちはNHKラジオ『尋ね人の時間』も使ったりして、手を尽くしたが見つからなかったのだという。あるいは空襲の戦火に呑まれたか?
 Kさんからは、きんとともに、この曾祖母の冥福も祈るように言われた。
 さて、Kさんの口伝えに曾祖母が書くように言っていた「野球の小説」だが、あれから2ヵ月して脱稿したことを記しておく。
(『見える人』―おわり―)
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上野 歩(うえの・あゆむ)

1962年東京生まれ。作家。『恋人といっしょになるでしょう』(集英社)で小説すばる新人賞受賞。文芸社にて執筆アドバイザーを務める。新感覚サイコミステリー『鳴物師 音無ゆかり 事件ファイル』を文芸社より刊行。
公式HP《上野亭かきあげ丼》
http://www.uenotei.com



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