書く歩く(第42回 『座右の銘−②』)
第42回 『座右の銘−②』

プライドの高い眉目秀麗な剣士というのが、吉川英治の『宮本武蔵』に登場する佐々木小次郎である。しかし、井上雄彦『バガボンド』の小次郎は、耳が聞こえず、言葉を持たない。自然体の浪人だ。
このキャラクターから鑑みるに、クライマックスの巌流島での武蔵との決闘場面が、あのあまりにも有名な吉川版とは異なるであろうことが予測される(そもそも現在も進行中の『バガボンド』が、巌流島の決闘で完結するかどうかも不明なのだが)。
小次郎の性格を考慮に入れた武蔵が、定刻よりもかなり遅れて巌流島に到着するのが吉川版である。さらに、武蔵は相手をイラ立たせるため、「小次郎っ。負けたり!」という言葉をカウンターで浴びせる。“物干竿”と呼ばれる大刀の鞘(さや)を払って投げ捨てた所作に注目し、言いがかりをつけたわけだ。勝つつもりなら、なぜ、刀を戻す鞘を捨ててしまうのか? と。さらに、「惜しや、小次郎、散るか。はや散るをいそぐかっ」といった言葉でイライラに追い討ちをかける。
だが、『バガボンド』の小次郎に対しては、こうした心理作戦がそもそも通用しないことになる。
さて、『バガボンド』の第26巻からは、一乗寺下(いちじょうじさが)り松での武蔵VS.吉岡一門の決闘が描かれる。度重なる確執の果てに、面目を失った吉岡道場の門弟70余名が、復讐心を剥き出しにして武蔵ひとりに襲いかかったのだ。

この死闘の最中に、武蔵は、「やらかくなるのは自信 固くなるのは気負い」という境地に行き着く(第27巻)。
「やわらかく」ではなく、「やらかく」というところに、いっそうの力の抜け具合が感じられる。
思えば、これまでの僕は、一張羅の外套の襟元を掻き合わせるようにして、ものを書いてきたな、と思った。しかし、この言葉に出会った瞬間、ユニクロのフリースを着てるように自由になった――と、まあ、そんなお話を、その飲み会でしたのだった。
(つづく)
吉川英治『宮本武蔵』の引用は、吉川英治歴史時代文庫21(講談社)による。