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執筆虎の巻(ポエム篇/第三回 『詩的表現が平凡……その打開策とは?』)

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 前回は同じようなモチーフを扱っても、アプローチが違えば雰囲気や印象が異なるという話じゃったな。今回は、同じ言葉でも、その使い方によってインパクトが変わるということを考えてみよう。

 詩は一体、何を伝えるものか……?
 例えば、「君はなかなか詩人だね」という場合、「君」とは感受性の豊かな人物を意味するじゃろう。事実や情報、考えをきちんと伝えるために書かれる散文(例えば新聞記事)とは違って、詩は感性や感情を主に伝えるものなのじゃ。とは言え、「感動した!」の一言だけでは詩人とは呼べんじゃろうな。それは、つぶやいても叫んでも荒々しく書いても同じじゃ。そこで、詩のスタイル、表現上の工夫を考えなければならんというわけじゃ。

 次の文章を読んで欲しい。
「今日、田舎の母からダンボールにいっぱいのリンゴが届いた。嬉しかった。僕の狭い部屋はリンゴで埋め尽くされたみたいになった。リンゴはきれいな赤色で、つやがあって、甘い香りが部屋に充満した。そのなかのひとつをとって、皮のままがりっとかじってみると、少し酸っぱくて甘い味が口いっぱいに広がった。ダンボール箱には故郷の味と母の愛情がいっぱいつまっていた。母親と電話で話をしたのは1年も前だ。東京の友人は数少ないけれど、だからと言って、田舎の両親や友人と連絡を取るのは何となくはばかれる。たくさんのリンゴが僕の強がりを見透かしているみたいだった。」

 この文章の中には色々な情報が盛り込まれておる。これが散文の特色とも言えるのじゃが、もし「母の愛情」や「僕」の感情に注目して詩的に表現するとなると、どうなるじゃろうか。読者の諸君もぜひ挑戦してみて欲しい。

 あくまでも一例じゃが、こんなふうになるかのぉ。


「ダンボール箱を開けると
 目に飛び込んできた鮮やかな赤
 懐かしくてきれいな夕焼け

 いっぱいのリンゴ いっぱいのリンゴ
 ふるさとの光が集まった いっぱいのリンゴ

 ひとつとって こすってみる
 つやつやとしてかわいくて赤い
 ひとつとって かいでみる
 触れた鼻先がちょっと冷たい
 ひとつとって かじってみる
 少しだけ酸っぱくて甘い

 いっぱいのリンゴ いっぱいのリンゴ
 寒々とした部屋に届いたいっぱいの愛

 いっぱいのリンゴ いっぱいのリンゴ
 四畳半にぽつねんと座る僕が切ない」



 それでは、上の詩で見られる表現法を見てゆこう。まずは名詞で終わる『体言止め』じゃな。これは、その後に何か言葉が続きそうなのにそこで切ることで余韻が生まれるわけじゃ。また、「いっぱいのリンゴ」の『繰り返し』による強調がなされておる。「いっぱいのリンゴが田舎から届いて嬉しかった」という文章よりも、リズム感があって心が弾む様子が伝わってくるじゃろう。さらに、「甘い」「冷たい」「赤い」「愛」「切ない」と類似の音を繰り返し並べていることに気付いたかのぉ。これもまたリズムを整える要素になっておるが、より重要なのは「母の愛情」や「僕」の感情を印象付けておることなのじゃ。


 心に残る詩というのは、その表現法にも工夫がされているものじゃ。同じ言葉でも、またシンプルな言葉でも、表現の仕方で印象は変わるものなんじゃよ。自分が創った詩をもう一度見直し、言葉を並び替えてみたり、重ねたり省略してみたり、自分の思いがもっとも効果的に表れる詩を考えてみるといいじゃろう。今まで気づかなかった、自分らしい表現の世界がさらに広がっていくはずじゃ。

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