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執筆虎の巻(「創作の準備を!」篇/第十回 『三人称一元描写とは?②』)

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「創作の準備を!10」
 
前回は「三人称一元描写」の特長について簡単に触れたが、今回は具体例を挙げることにしよう。小説における「視点」の理解を少しずつ深めて欲しい。ここが踏ん張りどころじゃ。

 まずは復習じゃ。第八回で比較した文章を引用してみると、A「僕は滑るように流れる薄雲を眺めながら」とB「太郎は滑るように流れる薄雲を見上げながら」とでは視点が異なる。Aでは「僕」の目線で「僕」が語っておるが、Bでは「太郎」を客観的に見ている人物=語り手が語っているんじゃ。
 つまり、Aでは「僕」自身がカメラマンのようになって、「僕」が見える世界を知覚し、思ったことや感じたことを「僕」が語っている。Bでは「語り手」(=登場人物ではない)がカメラマンのようになって世界を俯瞰するように映し(=「神の視点」と言われる)、「語り手」が語っているというわけじゃな。

 それでは「三人称一元描写」ではどうなるじゃろうか。
「三人称一元描写」では、「太郎」自身がカメラマンのようになって、「太郎」が見える世界を知覚し、思ったことや感じたことを、語り手が語っている(代弁する)、ということになる。重要なのは、語り手は「太郎」であると同時に、「太郎」ではないということじゃ。「太郎」に憑依する幽霊のような存在をイメージして欲しい。

 言葉で説明するとちょっと難しいかのぉ。例えば、「要領を得ない由紀の答え方に僕は苛立っていた。僕の頬は少しずつ紅潮した」という文章がおかしいのは、「僕」自身がカメラマンのようになっているのに(「僕」は「僕」の顔を見られないのに)、「僕」の表情が描写されているからじゃ。
 それでは、「僕」を「太郎」に替えてみるとどうじゃろう。「要領を得ない由紀の答え方に太郎は苛立っていた。太郎の頬は少しずつ紅潮した」となる。ここでは、太郎の感情と、太郎の様子を同時に表現できておる。つまり、「太郎」であると同時に、「太郎」ではない(幽霊のような)語り手が語っておる。これが前回アドバイスした≪主観的≫かつ≪客観的≫、≪感覚的≫かつ≪説明的≫な文章であり、「三人称一元描写」の視点なのじゃ。肝に銘じておくべし!

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