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執筆虎の巻(小説篇/第五回 『迫真の世界を描き出すためには?』)

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「バブル崩壊前夜」
ペンネーム  小金原 国子
 いつもはJRの駅からバスを利用するのだが、月曜の今日は道路が混むことを見越して地下鉄の最寄駅から歩いてオフィスに向かう。坂を下ると、高層建築が決して珍しくない都心でも、一際目を引くインテリジェントビルが目に入る。初めてこの光景を見た時の衝撃は今でも鮮やかに蘇る。

「ねえ、お宅のボス、今日はまだなの?」
 出社早々、同じ年の外債トレーダーの犬養咲がいきなり声を掛けてきた。今日も見るからに英国製とわかるテーラーメイドのスーツをかっちりと着こなしている。巷で話題のワンレン・ボディコンなるものは、小娘が身につけるファッションとでも言いたげな、自信に満ちた着こなしで、女の私から見ても様になっている。
 今年卒業の大卒女性たちが、男女雇用機会均等法の施行により、男性たちに混じって誇らしげに就職活動をする光景を見かけたが、その遥か以前に彼女は、優秀な男子学生を押しのけて大学新卒として紅一点、世界に名だたる外資系投資銀行に入社を許された名誉ある一期生だ。東大卒で帰国子女の彼女を日本企業が使いきれなかったであろう事は想像に難くない。彼女の優秀さは誰もが認めるところである。

「もうすぐ、来る頃だと思いますけど」と無意識に敬語を使っている自分に気付く。
「あっ、そう。それはそうと、アンドリュー・ロイド・ウェーバーの『オペラ座の怪人』のミュージカル見た?」
 いつものことながら突拍子もない質問に面食らう。
「まだ、ですけど、それが何か?」
「すごく面白いから見ておいて損はないわよ。私、ニューヨークでの初演の舞台見たけど、オープニングから凝った仕掛けが用意されていて、エキサイティングだったわ」
 ニューヨークか……。次のバカンスの候補に入れておこう。

 今日は強気相場でいくぞ、とボスがトレードマークのエピのスーツケースを下げてこちらに向かってきた。ディーリングルームの雰囲気は一変する。ボサボサ頭に高価なスーツが台無しといった着こなしだが、物の価値を見分ける能力は天性のものだ。なんせ、入社して初めてもらったボーナスで骨董物の椅子、今や目の玉が飛び出るくらいの代物を買ったという逸話が残るくらいだ。いつもはヘラヘラしているくせに、仕掛ける時はまるで獲物を狙う猛獣そのものだ。今日はどうやらその時らしい。外資系金融機関を舞台に日本の2大証券会社の思惑が激突する。こうして何の前置きもなく、今日も一日戦争が始まる。
「89回債、売りたい!」
「DKB テンビリオン買い!」


 前場が引け、ほっと一息つきながら、昨日のマハラジャでの成果をランチでもしながらエクイティの泉ちゃんから聞きだそうと思い電話をかけようとした瞬間、「おい、高塚、今日新発国債の入札があるからいつもの段取り、わかってるな?」とボスからいきなり命令が飛んできた。これで楽しいランチはお預けになる。落胆しながら泉ちゃんにかけるはずだった電話を、バックオフィスの中山君にかけて事の次第を伝え、運転手には社用車を地下駐車場に回して、入札に備えて、30分前には大蔵省で待機できるように手配する。そして急いでカフェテリアにサンドイッチとコーヒーを注文し終わると、どういうわけだか、阪神が21年ぶりに優勝を果たした去年の試合の場面が頭に浮かんだ。今年は広島に分があると諦めて、ホイットニー・ヒューストンの『Greatest Love Of All』のフレーズを意識的に口ずさんでみる。全くタフじゃなきゃやってられない仕事だ。

 これはどうやら証券会社を舞台にしたビジネス小説といったところじゃろう。しかも時代は現代ではないのう。21年ぶりの阪神優勝の翌年、男女雇用機会均等法の施行、アンドリュー・ロイドのミュージカル『オペラ座の怪人』の初演といった情報から、舞台となるのは1986年、バブル景気が始まった年のようじゃ。他にも時代を感じさせる懐かしい言葉がさまざまとちりばめられて、当時の雰囲気を演出しておる。「DKB」「エクイティ」といった業界用語を交えて証券会社らしい空気を醸し出し、一癖ありそうな、しかしやり手の個性的なスタッフを紹介しつつ、始業時からの慌しく活気のある様子もなかなか上手く表現できているんじゃなかろうか。
 さて、この作品、一見したところ特に表現上問題のあるところは見受けられん。ただ、細かく見ていくと些細な間違いを見つけることができる、これはいわば、ちょっとした「間違い探し」みたいなもんなんじゃが・・・。
 先にもいったように、本作の舞台は1986年じゃ。そこでまず気になるのは冒頭の「JR」の記述。国鉄が民営化され地方ごとに分割されたJR各社が登場するのは翌1987年じゃ。ということは、この物語の中では「国鉄」「国電」といった呼称が妥当じゃろう。次に、犬飼女史は『オペラ座の怪人』の初演をニューヨークで見たと言っているが、今をときめくサラ・ブライトマンを一躍有名にしたこのミュージカルの初演はロンドンのはずじゃ。さらに後段で、国債の入札で大蔵省に待機との記述があるが、これは大蔵省ではなく日銀が正解じゃろう。
 以上は重箱の隅をつつくような指摘かもしれんが、この時代や業界を知る読者がこの作品を読めば、違和感を覚えるじゃろう。そしてそれは作品のリアリティや信頼性を損なうことに繋がるんじゃ。特定の時代を描く場合には、いわゆる時代考証というものが必要になるし、特殊な業界や職種を描く場合には、その事情についての調査・取材が必要ということじゃ。例えば、実際の小説本の巻末に、多数の参考文献が掲載されているのを見たことがあるんじゃなかろうか。小説の書き手というのはそれだけ作品の細部に責任を持っているわけじゃな。迫真の世界を描き出すためには周到な準備、正確な知識が必要ということじゃ。
 ところで、85年の阪神優勝といえば、4月の巨人戦でバース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が飛び出した年じゃな。あれが優勝への狼煙じゃったかもしれん。わしは別に阪神ファンではないんじゃが、あのエキサイティングなシーズン中は、つい『六甲おろし』を口ずさんでいたもんじゃ。それにしても、今年の阪神はいかんのう。

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